2025年11月12日更新 投稿者 代表理事:澤 尚幸
人口減少対策ということ
最近、人口減少対策ということ、を考えている。
地方創生という政策は、地方創生2.0でも
「当面避けることのできない人口減少など我が国が直面する現実から目をそらすことなく」
と謳われているとおり、人口減少(それは少子高齢化、生産年齢人口の減少などのより内包された課題に分解できるが)にどう対応するか、ということがスタートになっている。
私の周囲でも、
「子供が巣立ったので。。。」
と言って、今までの家を手放して、夫婦で住める小さな家に転居しました、という話を聞くことが増えた。
家族が減れば、世帯を小さくする。
人口が減れば、◯◯を小さくする。。。
というのがある意味合理的な流れだと思うが、
どういうわけか、世の中で行われている人口減少対策というのは、
「小さくなったものを、何かでカバーしたい」
という政策になっているものばかりなのではないか、というのが気になっていた。
(そんなこと、もう、とっくに気づいている人ばかりなのではないかと思う)
移住定住といって、どこかから人に来てもらう
外国人労働者や移民といって、外国から人に来てもらう
女性活躍といって、女性の働く時間を増やす
定年を伸ばして、あるいは、高齢者雇用といって、高齢者が働く時間を増やす
二拠点や多拠点を増やして、都市部でも地方部でも働く
1億2000万人の人口が、2100年には、4000万人を切ると予測されている(将来推計人口の定位推計)
外国人労働者は別かもしれないが、他の方法はタコの足くいのようなもので、全体で見れば、乱暴に言えば、
「これまで以上に働け」
といっているのではないかとすら思う。
実は、経済を維持したまま、人口減少の対策を行うというのは、
2人でやっているものを1人でできるようにするには?
10時間かかっているものを5時間にできるようにするには?
という、労働生産性向上の議論を本当はやらないといけないのではないか。
(これも、多分、ほとんどの人は気づいているのではないか?)
労働生産性は、OECDの38か国でイタリアが8位、フランスは11位、フィンランドは16位、日本は32位だ。
(これも、統計がおかしいなど、いろいろなご意見があるようだけど。。。)
フィンランドは、男女問わず、ほとんどが定時には帰宅する。
男女で何かが区別されることもなく、夜にベビーシッタを雇う、といったことも考えられないという。
親の世話をするというのが子供の役目ということもないので、介護離職・退職もほぼないという。
夏休みは4週間。家族で過ごす時間もあれば、学び続けるための時間に充てている、とも言われる。
フィンランドに留学していた友人に聞いても、本当にそういうことらしい。
また、アジアで最も大人が学ばないのは日本だ、という調査もあった。
実は、諸外国に比較して、高校生も学ぶ時間が少ないという。
労働時間が長い。なので、学ぶ時間がない。そして、家族と過ごす時間もない、
この悪循環。。。
学ぶスキルが身についていないので、新しい環境への適応力も悪くなるだろう。
「高齢者なので、デジタルは。。。」
というのは、学ばない、学べないことへの「悲鳴」のようにも聞こえる。
フィンランドの義務教育の目標は「学び続ける力を身につけること」だそうだ。
オランダでは、学校教育の目的は?と質問すると、多くの大人が「子供の自立」と答えるという。
つまりは、ここを「良いフィードバックの流れ」に変えていかないということなんだろう。
圧倒的な効率化を進めたのは、実は製造業だと思う。
昨年、製鉄所の高炉や圧延工場を視察したが、
「え、この人数で回しているの!」
という驚きを感じた。
「農業だって、昔とは比べ物にならないよ」
と田舎で専業農家をやっている私の先輩はいう。
古くはQCサークル、など、製造業の生産性向上が日本のお家芸でもあった。それは技術経営として一つのカテゴリーを作っている。
農業もそうだろう。圃場整備、機械化、生産性向上は大きな柱の一つだった。
どういうわけか、一番効率化が進まないの第三次産業、サービス業なのではないか?
この辺りが「学ばない」「学べない」ということとも何らかの因果関係があるように思えてならない。
そして、
多くの人が都会から関わる地方部で、それでなくても人がいない、地元の行政がもう回らない
という声も聞こえてくる。
予算も確保する、地域にやってくる人々の世話もする、そこが増えないのだから、大変なのはよくわかる。
「少ない人数でやるにはどうしたら良いのか?」
そのことを真剣に考えて、場合によっては実証してみる。
そういうことを一緒にやれる人はいないだろうか、最近、そんなことの声かけを方々にしている。
(参考)
堀内都喜子「フィンランド幸せのメソッド」
松岡亮ニ「教育格差」
リヒテルズ直子 苫野一徳「公教育をイチから考えよう」




