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2021年1月16日更新 投稿者

「空」とは何か?

もう3年前になるのだけれど、山形県の庄内で行われる3日間の羽黒山伏修行に参加させていただいた。
大聖坊の星野先達に導かれた3日間は忘れ難い。

「月山に一合目からちゃんと登りたい」という願いはまだ叶えられていないけれど、今年は実現できるだろうか。

伊勢という土地で生まれ育ち、伊勢神宮は身近なものだった。
そのため、自然と日本史や建物(建築)が好きになった。
時には飛鳥や奈良に行って史跡や神社仏閣を見て歩き、また日曜日の新聞に掲載される地域の寺院や仏像の特集を毎週切り抜いてはストックブックに貼り付ける、そんな小学生だった。
「祈り」は、昔から自分にとって特別なことではなく、日常のことであったのだが、般若心経を唱えるという機会は、この3日間が実に初めての体験だった。

3日間で何度となく唱えた「般若心経」。
意味はわからないのだけれど、唱えていて「音楽的に気持ちが良い」と思うことが少なくなかった。
修行の後に、解説本を買った。
特に「音楽的に気持ちが良い」というところは、「非常に高い悟りの境地」という意味を示していた。
自分が感じていることは、どうも間違っていないらしい。自分の”感じるセンサー”はそこそこ正しいのだな、とちょっと安心したりした。

解説本によると、「般若心経」は「空(くう)」がわかることが本質だと書いてある。
しかも、物事は全て「因縁」からできているというのだ。
この「空」のこと。わかるようでわからないまま、改めて解説本を読んではわかったような気になり、そして、またいつの間にかわからなくなる。

そんな3年を過ごしてしまった。

有名な
「色即是空 空即是色」
の一節が、わかったようでわからない、そういうモヤモヤの3年間だった。
が、ざっくりいうとこういうことなんだろうな、ということがわかったのは、今年の正月だった。

全ては関係性(因縁)でできている。
教育で言えば、学生と教員ということが成立する。
しかし、この関係は、親子であるかもしれず、子供と大人であるかもしれず、逆に、学生が大人で教員が若いことすらある。
それぞれが「学生と教員だ」と認識しているからこそ、その状態があるに過ぎない、と考えれば合点がいく。
形があるように見えているものは、全て、状態に過ぎない。それは実は、全部「関係性」からできているからだ。

なるほど。

「空」は「ゼロ」に近い概念だという。
どちらもインド発祥なので、そういう意味では、古代インドの人は「関係性」ということと、その「関係性」が非常にうつろい行くものである、ということを理解できていたのだろうと思う。
実際に0は、数学的にも色々な関係性を一度「破棄」するという実質的な「役目」を持っている。
あるいは、写真を撮影すると「何か」が撮影されるが、本当の一瞬も実際には0.00001秒みたいな実質的な時間が存在する。本当に瞬間であれば、何も映らないだろう。この辺りを追求すると、数学の「極限」というものの「あり様」に繋がっていく。

昔から自分はゼロベースで考えてみる、ということが好きだ。
これは何もないところから考えるということではない。
何もなければ何も作れない。
今ある関係性というものを一度無くしてみて、その前提がない上で考えてみようということだ。
具体的に言えば、固定概念とか、既得権とか、既存に存在しているものの役割、などがそれに該当するだろう。
その上で、何かを実現したいという目標があるとすれば、それは、新しい関係性が生み出されることで作られるということを意味する

ゼロベースというのは、「色即是空 空即是色」なんだな。

ただ、現実の世界では、人々はそこまで悟っていないし、器用でもない。だからこそ関係も簡単に瞬間に再構築などできない。
だからこそ、過渡期が必要になる。
そして関係性をどのように変えるのか、ということを提示しないといけない。
実現可能な政策というのは、本来そういうものなのだろう、と改めて感じている。
そして、だからこそ、実現をするというためには、過渡期を踏まえた、ちょっと先を見なければいけない、ということもわかる。

1/31(日) 19:00から、Salon de ∫u ken #7″ゼロベースで教育を考える”、というオンラインサロンをすることにした。
ぜひ、ご参加いただき、教育について、これまで関係性を一度取り払った上で、目標に向けた新しい関係性とは何だろうかということを議論してみたい。
具体的には、教員はいない、学校はない、教材はない、といった関係性の上に、リモートで学べる、好きな時に学べる、という新しい関係性があったとしたら(もっと関係性いっぱいあるはずだけど)どういう教育が作られるんだろう、ということを一緒に考えてみたいと思っている。

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