2020年6月8日更新 投稿者 代表理事:澤 尚幸
ポストコロナの世界:社会の既知と未知について考える 〜第一回:議論へのプロローグ〜
ポストコロナを考えるシリーズを始めました。
メンバーのお一人である周栄さんが、メンバーやゲストとして参加してくれた方々の議論をnoteとして記事にまとめてくれました。
周栄さんは、
なぜ、コロナウィルスは飲食店を殺すのか
というnoteを書かれて脚光を浴びられましたが、
このシリーズは
「コロナウィルスは何を生かすのか」
ということを考える旅でもあります。
やや長文ですが、ぜひお読みください。
はじめに
新型コロナウイルスの影響によって、否応無く社会の構造が変化しています。その影響は、政府/民間を問わず、そして望むと望まざるに関わらず、ほとんど全ての業界に及ぶところとなりました。
この「ポストコロナの世界:社会の既知と未知について考える」シリーズでは、コロナ禍によって変化していく社会像を、多様な業界に携わるコアメンバーを中心としてディスカッションした内容をまとめて発信していきます。
様々な業界の第一人者をお呼びしてZOOM上でヒアリング/ディスカッションをしながら、各業界の現状についての「解像度」を高めて行くことが目的の一つです。
さらにその上で、今回の一連の変化を、あるべき姿へと社会を変革する契機にするべきであると我々は考えています。
これまで変えられなかった社会構造や規範について、改めて浮き彫りになった問題、そして今だからこそ変えることのできるタイミングにある様々な問題について考察していきます。
コロナ禍をきっかけとして、これからのあるべき未来・作るべき社会へ向けて、このシリーズにおける議論を通して提言をしていければと思っています。
メンバーについて
現時点でのコアメンバーは以下です。
澤尚幸
一般社団法人コミュニティ・フューチャー・デザイン代表理事、福山市政策アドバイザー兼最高情報アドバイザー、元日本郵便株式会社経営企画部長。東京大学理学部数学科卒。均質化から多様性への転換、次世代育成による地域活性化を目指している。
井上貴至
1985年大阪生まれ。2008年総務省入省。15年4月から自ら提案した地方創生人材支援制度の1号で鹿児島県長島町に赴任。7月から副町長(29歳は史上最年少)。17年4月からは愛媛県市町振興課長。19年4月から現職(内閣府地方創生推進事務局参事官補佐)。週末は地域の隠れたヒーローを訪ね歩く。座右の銘は「ミツバチが花粉を運ぶように全国の人をつなげたい」。ブログ「地域づくりは楽しい」が好評。共著に「ソーシャルパワーの時代」(産学社)。
藤井靖史
1997年京都市生まれ。会津大学産学イノベーションセンター客員准教授。株式会社AiYUMU取締役、内閣官房情報通信技術総合戦略室オープンデータ伝道師、総務省地域情報化アドバイザーなども務め、地域のデジタル化を実践している。
占部まり
内科医、宇沢国際学館代表取締役、日本メメント・モリ協会代表理事。
東京慈恵会医科大学卒業。かかりつけ医として地域医療に携わるかたわら、父である経済学者・宇沢弘文の理論をより多くの人に知ってもらおうと活動している。
重鎮X
某業界の重鎮Xさん。諸事情により名前の掲載を控えさせていただいております。鋭いご意見をたくさん出していただいております。
若手エリートY
某業界の若手エリートYさん。諸事情により以下略。全体の議事録の取りまとめなど運営サポートも行っていただいております。
周栄行
1990年生まれ。上海復旦大学、NYUへの留学を経て早稲田大学政治経済学部を卒業。外資系金融への勤務を経て、ライフスタイル全般に関わる事業を行うため独立。襷株式会社代表。飲食プロデュースを中心として幅広い事業に関わる。
このシリーズの記事の内容は、上記メンバーを中心として、回によっては各分野の有識者を加えたグループでディスカッションしたものをまとめたものになります。
また、今後はこのZOOMでの議論の様子自体もオープンにしながら、たくさんの方のご意見もオープンに集約しながら進めて行ければと考えています。
議論へのプロローグ
第一回目となる今回は、メンバーそれぞれの視点から、今後議論を深めていくべきテーマについてディスカッションしました。あくまで現段階では大枠の議論ですが、それぞれのテーマの入り口となるものになります。
1.都市/地方での視点の違い
東京で今起きている問題/起きるであろう問題と、地方で起きている問題/起きるであろう問題は違うのではないか、ということについては大いに議論の余地があると思います。
地方においても、政令市や中核市レベルは東京の課題と近いかもしれないですが、人口1万人規模の自治体では全く違う問題が起きる/起きているはずです。
新型コロナウイルスの感染者が出てない県でも全国一律の緊急事態宣言により制限がされていた今回の対応は、果たしてどこまで正しかったのでしょうか。
東京や大都市圏を中心に考えられている現状では、地域にあった個別最適な施策、判断が行われていないように見受けられます。
また、地方についてのテーマを語る際に、共生と循環再生をキーワードに持続可能性を重視する藻谷氏の書籍「里山資本主義」についての議論も出ました。
なぜ里山資本主義で行動変容が広がっていないのか。作者である藻谷さん自身、地域には色々な役割の方が必要であり、あの書籍は、あくまでも火付け役だと自認してらっしゃったようです。
東京の人がどう行動すれば良いのか、地方に足りないものはなんなのかというような視点があれば良かったのではないか。地方は、点の変化だけでは不十分で、地域として、長老のような人が複数人いて若手に任せている状況ができなければ、属人化してしまいます。コーディネーター的な人材が重要になってくるのではないか(代表的な事例として鹿児島県長島町、徳島県神山町、長野県小布施町など)。地方/都市におけるポストコロナのあり方についての議論は大いに進めていきたいと考えています。
2.行政/国民意識/政治参加について
日本の変化に対応する能力(レジリエンス力)の足りなさは改めて今回の一件で明らかとなったように見えます。そんな中で日本における国民の政治参加についての意識はどう変わっていくのでしょうか。一人一人が当事者意識を持って政治参加・社会参加する流れは、フィンランド、スウェーデンなどの国において顕著になっています。日本においては現状、政府に対して要求はすれど積極的政治参加にはまだ至っていないように見受けられます。
個人情報の問題に関しても議論するべき点があります。中国、韓国、台湾で感染者が出た場合には、携帯の位置情報から感染者の近くにいた人に警戒メールが来るようになっています。中でも中国においては、決済システムにも紐づいたヘルスコードによって、その人の行動のトラッキングや省を越えた移動の可否がなされているようです。
日本では個人情報保護が厳しいことによりデータが取れないため、個別最適な施策を実行できません。もちろん、個人情報の扱いについては一概に中国のように管理することが正解である、とは言えませんが、少なくとも日本においては、緊急時に今よりももっと活用するための議論を速やかに進めていく必要があるかと思います。
政治に関して、環境によって個人の行動は大きく影響を受けるため、行動心理学的なアプローチが必要なのではないかという議論も出ました。例えば、行動心理学的視点から今回の政府の種々の対応は適切だったのかという議論も意義深いものになるかもしれません。
また、今回のコロナの政府の発信のピントがずれている、という指摘もありました。一般市民と感覚が大きく乖離しているように感じる面が少なくありません。様々なシナリオを考えて実施されてはいるものの、それが古い状態からアップデートできていないからではないでしょうか。それは詰まる所、ダイバーシティーが欠けているが故ではないでしょうか。
今回のコロナの問題は政治・社会に関心を持つきっかけになったと言えるのではないでしょうか。政府の対応やその与える影響の大きさを見て、政治参加してこなかったリスクを感じた人も多いはずです。若い人にとっても、自分の生活と政治をつなげて考える契機になったと言えるでしょう。これによって今後の選挙における投票行動が変わるきっかけになるのではないか。そしてそれは非常にポジティブなことなのではないかと思います。
政治家が、お祭りやお葬式などに足を運べなくなり、より政策本位な選挙戦も生まれつつあります。その上で一般の人も政治参加・社会参加できるような仕組みが必要であると間えます。
人間の意思(立法)、流れ(行政・経済)、相対関係(司法・社会)と分割して考えると、シビックテックや政治参加というキーワードは人間の意思(立法)の部分にあたりますが、コロナにより、意外と政治の力が強いことが一般にも意識されたと思います。ただ、政治参加が投票や立候補という切り口だけでは難しいと言えます。もう少し入りやすいような政治参加の形を提示できないか、という議論もあります。誰か一部の人に任せきるのではなくて、我々が主体となって社会を作っていく。やりたいこと、やるべきことをやるための政治参加を作っていくべきです。世の中がどうなってしまうのか(公助、共助)という話の中では世代は関係なくなってくるのではないでしょうか。
3.教育の在り方
テレワーク・リモート授業化などが進む中で、学校教育のみならず、会社組織などにおいても新しい教育の在り方が問われていくのではないでしょうか。
議論の中で出てきたワードとしては、「比較しない社会」というものがありました。それは他者との比較ではなく自身の成長にベクトルが向いていく世界観です。
そもそも、均一化した人を育てようという教育であるから比較という話が出るのではないか。ただ比較するからこそ無用な競争が生まれます。他者に対して勝つことが大事なわけではなくて、真の競争は過去の自分自身との比較であるのではいか。
例えば、デンマークにおける教育では、評価をグループで行うそうです。そして何度もグループを変えていくことによって、将来的に色々な環境で対応できる子供達が育てる、という意図があります。そうした360度評価により自分が人からどう見られているか、人とどうつながるか、人にどう伝えるか、というようなことがわかるそうです。
森下典子さんの小説「日日是好日」からも分かるように他者との比較ではなく自分自身に向き合うというのは、昔から日本が持っていた価値観であると考えることもできます。日本におけるこれからの教育も、一人一人の個性との対話、自分自身との比較というような方向にパラダイムシフトする可能性があるのではないでしょうか。
そもそも、過去には、戦争中、あるいは東日本大震災などで、人々が授業を受けられていない期間がありました、それによってその人たちの成長に不可逆な影響があったわけではないはずです。「日日是好日」が伝えるように、教え込むのではなく、気づく時間や喜びを与えることも大切ではないでしょうか。
4.飲食店について
以前、私(周栄)の以前のノートで書いたように、これまでの飲食店は薄利多売のモデルでしたが、それが大きく転換を求められる状況にあります。
吉野家、松屋などのような、ライフライン/インフラ的な食を提供するメガチェーン系の飲食店と、高単価/高付加価値でストーリー性のあるようなファインダイニング系の飲食店の二極化が進むと考えられます。後者では特にコミュニティ化が重要になるでしょう。
一方で、その間にいる大半の店はこれまでのような経営では厳しくなるのではないでしょうか。現在すでに感染者数が抑えられ、経済活動が徐々に戻ってきている台湾の事例を見ると、夜にお酒を出す業態の回復は昼がメインの業態に比べても遅くなっているようです。居酒屋をはじめとした日本の外食の大きな部分をしめる業態は、アフターコロナの世界において何らかの転換を求められるものと考えられます。
他の分野においても共通して言えることではありますが、もともと時代の変化の中で相対的に弱くなってきていたものの淘汰が加速されている面はあるはずです。特に居酒屋業態の倒産件数はコロナ前に既に増加傾向にありました。
大人数での宴会・歓送迎会などが減り、中箱や大箱の店の存在価値がもともと揺らぎ始めてきていた中で、アフターコロナにおける在り方が問われています。
5.不動産
今回のコロナ影響によって飲食店や小売店が大量に倒産することは明白となっています。そうした中で、景気が今後回復に向かったとしても、コロナ以前と同じ水準に戻るとは考えづらい。
そうすると、テナントがこれまでのように入らなくなり、家賃・不動産価格も低下する方向に向かうと考えられます。しかし、不動産業界はこのことを現時点でどこまで織り込んでいるのでしょうか。
地価が維持できなくなったときに、街全体の絵図がどうなっていくのかはまだまだ議論されていないように思えます。
百貨店・商業施設について考えると、大家と店子の関係性が大きく変わっていく可能性があります。それによって街の作り方を誰が主導していくのか、そのプレイヤーが変わることも考えられます。また、この先、ビジネスモデルとしての限界を迎えた百貨店や商業施設がなくなった後に、残った箱物の利活用についても議論がなされていくべきではないでしょうか。
6.医療について
様々な要因から、新型コロナ感染症の対策が奏功し、集中治療室や人工呼吸器がが足りなくなるといった形の医療崩壊は避けられています。
今後このウイルスとの共存を余儀なくされている現状では、一般の治療や健康診断などが受けにくいといったこれから大きな影響が出てくると思われるものも考慮し対策を進めていかなくてはなりません。
日本に住む人々の手洗いうがい、マスク着用といった習慣が根付きやすかったこともあり、欧米諸国に比べると”ゆるい”制限で対処できています。この感染症の蔓延を抑えることができたのは、国民皆保険、いつでも、誰でも医療をすぐに受けられる環境であったことも大きいです。しかし、その反面、不要不急と判断した治療が大幅に減ったことで、医療の運営までにも影響が出てきています。
医療経営が”患者がいること”により成り立っている。患者が減る、すなわち健康な生活を維持するということに対して、医療側からするとインセンティブが働きにくいという構造が、より鮮明になってきています。
都内の救急搬送が昨年度の同時期に比べて、大幅に減っています。詳細は分析を待たねばなりませんが、多くの不要不急の救急要請が控えられていると予想されます。
医療を提供する、受ける両者が双方向的に考えていく必要があります。
ウイルスのこともだいぶん解明されてきました。その知見を踏まえ、冷静な判断ともに、今後の生活を組み立てていく必要があります。メディア からの情報をどう捉えていくのか。そんなことも重要となります。正しく”恐れる”そのためのリテラシーを上げていくことも考えていきたいのです。
7.時間軸における変化
時間軸の変化についての議論もありました。コロナによって社会全体がゆっくり考える、落ち着いて考える契機になったのでは、という視点です。
インターネットの普及で情報量が増えたため、現代人の情報処理能力は高まっています。表層的に見て、素早く判断していくというような力がついたのは間違いありません。その影響か、特に若い世代に見られる傾向として、消費される物事の時間単位が短くなってきているのは特徴として挙げられます。YoutubeからTikTokへのユーザー変遷のように、コンテンツの時間単位は以前に比べてコンパクトになっていると言えます。
一方で、インターネットの情報はみんながアクセスできるため付加価値がない。付加価値があるのは個人的な暗黙知や経験であり、それに関する重要性が高まってきているのではないでしょうか。
以上が、第一回、および第二回のZOOMでのメンバーでの会議の概要でした。
ここから、それぞれのテーマについてより深掘りしていきながら、議論を進めていくにあたって課題ばかりにフォーカスするのではなく、既にある良い面にも注目しつつ、包括的な議論を展開していきたいと思います。
次回は現代美術家の落合さんと、ホテルプロデューサーの龍崎さんを迎えてのディスカッションの内容をお届けします。
以降の記事も、どうぞお楽しみに。