2020年4月25日更新 投稿者 代表理事:澤 尚幸
「算数から数学へ」を読んでわかったこと
宇沢国際学館の占部まりさんから、宇沢弘文著「算数から数学へ」をいただいた。
宇沢先生が、子供達のために書いた数学の入門書。
絶版になっていて、なかなか手に入らない。
これまで、島根県江津市の市民大学「GO▶︎つくる大学」の「数学学」の講座などで、
数学は計算することではなくて、「ものの考え方だ」
だから
「算数と数学は違います」というお話しをさせていただいた。
そうは言うものの、自分の中で、完全にこの話がストンと腑に落ちていたか、というとそうでもない。
そういうもやもやが、今回この本を読んで氷解した。
正直に言うと、そんなものだ。
ところで、今回、この本を読むことで、中学生以来40年ぶりに、いわゆるユークリッド幾何学に接した。
中学レベルから数学を学ぶのはとても楽しいことだけど、
「なぜ、中学でいきなり図形の学習をするんだろう。。。」
そんなことを感じて、これまでそれを真剣に考えることは実はしてこなかった。
中学校の先生からすれば、
「そんなの当たり前だろ!」
っていうことなのかもしれないが、今回は、それこそアルキメデスの「ユリーカ」ではないのだけど、自分なりそのことの答えが出たことも楽しかった。
それは、
- 直観でこうじゃないかなと思う
- それが真実であるのか、ということに強い興味を持つ
- それが真実であることを証明する
というプロセスを学ぶには図形が一番だからなんだな、と。
例えば、円周角が中心角の半分であるような気はすぐに感じるけど、
「それが本当だ」ということは証明して確かめないといけない
このことをもう少しプロセスで言い換えれば、
「直観はとても大事なことだ」
その上で
「『それは真実なのか?』という強い疑問に対して、そのまま放置しないという根気強さ」
そして、
「実際に証明できるスキル」
を獲得するという3つだ。
果たして、今の学びは、この3つを本当に提供できているだろうか?
解法を教えてしまうことは、直観も学ばず、真実に対する疑問も通り越して、「知識だけ」を付与することになる。1、2をすっ飛ばして、3だけをやっている、そんな気がしないでもない。
ここに数学の学びの課題がある。
例えば、三角形の合同条件というのは3つあることになっているけど、
「本当にそれだけだろうか?」
というような質問を出した時に、子供達はどのように答えるんだろうか、などと妄想を膨らませた
(実際、他にも条件は作れる。もちろん3つのどれかに帰着するわけだけど)
とある学校訪問をした時に、数学の授業を拝見した。
「三角形がぴったり一緒になるのはどういう条件だと思う?」
と先生は生徒に聞いた。
ある生徒が、すらすらと3つの条件を語り出した。
多分、先取りして塾で習っているのだろう。
先生は、
「そうですね。」
と言って終わってしまった。。。
私なら
「他にないかな。もっとあるんだよ」
と聞いたと思う。
そして、この本「算数から数学へ」は、実は結構難しい。
すべてを書いていないのだ。
宇沢先生はそこがわかっていて「ちょっと難しいかな」というようなコメントをイラストで挿入されている。
あるいは、何も書かずに
「こうですね」
と断言して終わっているところが少なからずある。
直観が備わっていれば、
「え、どうしてそうなの?」
と思うはずで(実際、私はそう思った)
「そここそ学びであると気づくはず」
というトラップのようなものだ。
この本が面白いのはそこでもある。
他にも、円は点Oから等距離の点の集まり、みたいな議論から始まっている。
その延長線で、こっそり円錐曲線の議論が展開されている。
その後中学高校で、楕円や双曲線、放物線などを学ぶが、それがすべて円錐曲線だ、ということを学ぶ機会は、少なくとも、30年前にはなかった(今はどうだろう?)
私は、教員を目標にしていたこともあって、母校の田舎の県立高校で教育実習をさせて頂いた(なぜか、大学生なのに高校3年生を担当させられた。。。)
その最後の研究授業の題材が円錐曲線だった。
私の担当の某帝国大学理学部数学科を出られた教諭の指示だったのが、高校の数学科の教諭のみなさんからは
「そんな難しいこと理解できるはずがない」
という声が多かった。
離心率での分類みたいな話をしたわけでだけど、結論から言えば、何のことはない、ほとんどの生徒が理解してくれた。
多分、私の担当教諭の目的は、円錐曲線として統一的に見ることができる面白さ、のようなものに、数学というものの面白さのようなものがあることを知ってもらいたい、ということだったのだと思う。
でもさらにもう一つ、上の1、2、3の3つのステップはいろいろな行き方があるのだ、ということを知らせたかったという意図もあったように思う。
円錐を切ってみるという視覚的なアプローチもあれば、代数的に記述して性質を調べる方法もあり、また、離心率など別の方法で分類することもできる。
この本を読んだ子供たちが、円錐曲線と明記はされないものの、そのことが、何となく深層心理に埋め込まれていれば、
楕円や双曲線などを学だ時に、
「全く違う目線」
を感じられる、まさに、
「考え方は複数ある」
ということを鮮明に感じられるはずだ。
そして、もう一つ、この本には書かれていないのだけど、私自身は数学ということについて、伝えたいと思うことがある。
実は、先ほどの3つのステップには、前提として
という前段があるということだ。
例えば、三角形の内角の和は180度である、というのは、
「平面であれば」
という条件の上に成立している。
「球面上であれば」
三角形の内角の和は180度より大きくなる(球面幾何学のお話になります)
実は、もっとわかりやすい例を、GO▶︎つくる大学でみなさんへの題材としてやっていただいたことがある。
「東京と大阪の最短距離はなんですか?」
という問いだ。
地図で、東京と大阪に定規を当てて線を引けば、それが最短と考えるのが普通だろう。
でも、地球は球面だ、と思えば、それが最短でないことはよく分かる。
飛行機の機内誌に国際線の航路が書かれていて、北半球であれば北極に偏った曲線になっているのをみなさんも見ているだろう。
でも、それも最短ではない。
球であるから、実は地下トンネルがあれば、最短は地中にあるはずだ。
これは、すべて「前提がどうであるか」を前提とした最短距離だ。
あるいは、そもそも道路で歩いていく前提なら、道がないところは歩けないのだから、それがこれらは最短距離ではないだろう、ということも言えるかもしれない。
(ただし、道路の場合には、三角不等式をそもそも数学上の「距離空間」の概念に適さないので、もしかしたら、距離とは言えないかもしれない)
この
- ある前提がある上で
- 直観を大切にして
- それが本当かという強い意識を持って
- 証明して納得する
という行為自体が、
数学を学ぶことは「ものの考え方だ」ということなんだな、
というのがこの本から頂いた気づきだった。
これを、今の社会情勢に当てはめるといろいろなことがわかってくる。
「直観は正しいけど、ある前提が抜けている」
「直観だけで走り、おかしなところに行っている」
「直観に合うような前提で物事をごまかす」
「強い意識はあるけど、そもそも何をしたかったのかわからない」
というような事例が散見されることだ。
「法律という前提の上での行為が、直観と合わなくなっている」みたいな話は、まさに「直観に合う前提にしないとダメなんじゃないの」
ということでもあるだろう。
昨今の印鑑の話はマスクの話も、「前提が完備できているのだろうか」というところが実は物事を正しくとらえる上で大切だということをしみじみと感じている。
この本の「はじめに」の宇沢先生の一文が沁みる
『数学は、またたいへん役に立つものです。数学が役にたつというと、みなさんは、計算をうまくして、もうけを大きくすることだと考えるかもしれませんが、それとはまったく違ったことを意味しています。数学の本質は、そのときどきの状況を冷静に判断し、しかも全体の大きな流れを見失うことなく、論理的に、理性的に考えを進めることにあります。数学は、すべての科学の基礎であるだけでなく、私たち一人一人が人生をいかに生きるかについて大切な役割をはたすものだといってもよいと思います。』
絶版なのが惜しい。
この本が一人でも多くの子供達の手に届くようにするにはどうしたら良いのだろう?
増刷できれば、3回目のGO▶︎つくる大学など、数学の学び直しのテキストにもぜひ使ってみたい。
「増刷してほしい!」
みたいな声をお寄せいただければ、占部さんと相談して、出版社と交渉したい。