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2024年6月24日更新 投稿者

改めてルールについて考えている

ここ2か月ほど多忙を極めたことがあって、本当にこのブルシットジョブをなんとかしてくれないか、と思う日々だった。

性善説ならいらない作業が、性悪説になるとやたら作業が膨大になる。

仕事ではなく”作業”と書いているのは、価値を全く生み出さないからだ。
それどころか価値を生み出してくれるであろう時間を浪費するのだから、負の生産性である。

確かに予めやっておけば、後々問題が起きた時には「ちゃんとやっていたけど、失敗しました」と言い訳ができたりするのだろう。

でも、「これをやっておけば大丈夫」と言って「不適正な手続きが行われていた」なんていうのは、もう、政治の世界も含めて当たり前のように存在しているし、そのためか、日本のコンプライアンスは、もっと生産性を上げていく方向にできないか、というのは、もう、友人その他からよく聞く話だけど、一向にその方向には向かっていかない。

こんなことを考えていた時に、ふと思ったことがある。

そうはいっても世の中は多様性を求める方向にあり、その時ルールはどうあるべきなのだろうか

 

以前、森本あんりの「不寛容論」を読んだ時に、不愉快な隣人とどう共存するか、ということについて、「わたしはあなたの意見に反対だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という、この感覚に、妙な納得感を持った記憶が蘇る。


実は、2021年11月11日に、六本木でルール?展なるものが開催されていた。

 

ルールはゲームを明確にする手段であり、他人とゲームを共有する共通言語になる。

私たちは日々、朝起きてから寝るまで、さまざまなゲームをクリアしていることになる。

と書かれていた。そして、

履歴書にテンプレートは必要か?

という問いが置かれていたのである。

これだけ人材確保が難しくなっているのにも関わらず、相変わらず企業側が「雇ってあげるから、履歴書出してね」というルールのままになっている。

もう今までのゲームが成立しない状態にも関わらず、「ルールって変わらないよなぁ」と。そして、多様性を求める時代になるとゲームはいろいろで、ルールもある特定の領域でしか成立しないものになるだろう、と当時感じたことを思い出した。

実際、世の中の社会課題は、もう(フォーマル)ルールでは解決できなくて、特定のコミュニティによるインフォーマルルールにより解決していかなければ解決できないということは当然のように語られ始めている。

でも、最初にお話ししたようにブルシットジョブは減らない。
だから、ブルシットジョブに関わらなくても良いゲームにだけ参加すればいいのはよくわかる。

が、しかし、小野善康は、「資本主義の方程式」で、成長経済から成熟経済に移行してしまった日本は、民間生産物の代替品ではない政府需要を増やした方がいい時代になっているという。

政府はフォーマルルールの世界観の中にいる。となると、政府需要におけるルールを、実態に合わせて多様化しないと、ブルシットジョブの嵐になってしまうことは、容易に予想できる。

もしかすると、小さなコミュニティが独立して動けるような、そういう自律分散型の世界観への移行が必要なのかもしれない。

道州制はどこへ行ったのか、あるいは、藩くらいの単位で、もっと独立した地域運営をという声も聞こえてくる。

防衛やデジタル基盤などの共通基盤は国が持つべきだが、それ以外は、国の権限を薄くして地域分割をした方が、より良い国になるのではないか。

そうしたら、僕は自分の参加したいゲームをやってくれる藩に仕官したいなぁ。。。と思う。

そんなことをつらつら考えている。

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