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2021年5月24日更新 投稿者

ミーハー的観光(その5)「初めてのアメリカ」

 

1960年代三種の神器は「3C・Car Cooler Color TV」と言われた時代。

テレビ番組は、アメリカンドラマの印象が強い。

そこには大型家電、広い庭、どこにいくにも車、男女が仲良くダンスをして、歌いながら生活をする(なんだかすぐ歌いだすという印象。米国番組は、昭和の私にとっては「豊かさの象徴」であった。カッコイイアメ車で全米を自由に旅行する(ルート66か)、中産階級だが子供も個室を持っていて別荘に行ったりする「パパは何で知っている」等。また、ディズニーランド番組では、「未来の国」「おとぎの国」「冒険の国」「開拓の国」の4つの国からアニメやドキュメンタリー?など、毎週夢のような番組があった。「アメリカって凄い!」と思った瞬間(単純だったかも・・・)

 

 

アメリカンスクール

 

そんな幼少時代の小学校の頃、「クリスマスに行くとお菓子やチョコレートがもらえる!」と友達に誘われていったのか地元にあったアメリカンスクール。

行くとへんてこな帽子、キラキラ飾られたクリスマスツリー(クリスマスツリーなんて当時は知らなかったが・・・)、夢のような世界。

今から思えば、「進駐軍にチョコレート貰いに行ったか!」と自分で自分を突っ込むところだが。昭和30年代に周りには「ガイジン」が闊歩していた環境である。思えば身近にアメリカがあった。

正確には、「クリスチャン・アカデミー・イン・ジャパン(CAJ)」といい私の地元(東久留米)に(1950年)設立されたそうである。

周りには沢山のガイジン、昔は「ガイジン=アメリカ人」であったような気がする。

 

 

 

 

コカ・コーラ

 

1963年に地元にコカ・コーラ工場が出来た(現在のコカ・コーラ ボトラーズジャパン多摩工場)。

「とても旨いと評判のアメリカの飲み物らしい」と聞かされていたが、子供は飲むな!とか、体に悪い!とか言われていた。しかし、何人(4人以上?)だか集まると工場見学が出来る!と言われ、同級生と突撃!

するとコーラ、ファンタが飲み放題、しかも帰りに筆箱やらコーラの瓶型鉛筆削り等のグッズを毎回くれた。

「まだおいで」と案内のお姉さんに言われて、ひと夏に何度も行った記憶がある。

但し、コーラはあまり旨くない、なんだか薬臭いし色が醤油のようだ・・・。

1964年の東京オリンピックに合わせて「スカッとさわやかコカ・コーラ」のコピーが町中に溢れていて大学生のお兄さん達が飲む、というイメージ。子供には旨くなかった。

その後、大人になるにつれコカ・コーラ中毒になるとは思いもよらなかったアメリカの味との出会い。

 

 

 

 

 

南沙織

高校に入ると世の中は学生運動の終末期、冴えない新設の都立高校へ進学。

生徒は三無主義(無気力・無関心・無責任)が蔓延し、なんだかな~の高校生活を送っていた。

そんな時にデビューしたのが元祖アイドル系歌手「新三人娘(古っ!」(天地真理・小柳ルミ子・南沙織)。同級生は長い髪の南沙織にメロメロ。

そんな時、調布のアメリカンスクールから「conversation」の授業をやりに週一回来ていたMr中野先生。

夏休み前に「YOU達、schoolに芝刈りのバイトに来ない?!、いいこと教えてあげるから」数人でチャリにのり、彼が務める調布アメリカンスクールへ。

芝刈りのバイト前、そこで見せてもらったものは「南沙織の生写真」。え~っと驚くと、彼は「彼女は教え子よ!」と。

結局、直接会うことは叶わなかったが、妄想と想像で夢いっぱいの充実した高校時代、調布アメリカンスクールへのチャリ旅行。

 

 

 

 

 

 

クリスチャン・アカデミー・イン・ジャパン(CAJ・東久留米市)

https://www.caj.or.jp/admissions/index_jpn.php

アメリカンスクールインジャパン(調布市)

https://www.asij.ac.jp/

コカ・コーラ ボトラーズジャパン多摩工場(東久留米市)

https://www.ccbji.co.jp/plant/tama.php

コカ・コーラビジネスの歴史

https://www.cocacola.co.jp/company-information/ja-company-history/history_3

 

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