2020年4月23日更新 投稿者 代表理事:澤 尚幸
Stay Homeが読み解く未来
終息するかどうかもわからないが、アフターコロナという言葉が踊っている。
もしかすると数年単位で終息などしないのかもしれない。
アフターコロナを少し先日書いた。
わかっている人すでにそういう時代を望んでいて準備が出来ている。
そうでない人にとって厳しい時代になるかもしれない。
わかりやすく言えば、
オンラインが前提にすべての社会が組み立てられて、
でも、オフラインやリアルを求める時は求められる
そういう社会だろう
オフラインやリアルが先にある時代から
オンラインが先にある時代になる
ということでもある。
私は、2019年度、毎月、広島県と福島県と東京都を最低2周するという生活をおくってきた。
先日、広島県福山市の方を福島県会津地方にお連れした時に、
「よくこの移動を毎月2回もやってますね」
と驚かれた。
しかし、現場を見て、知ること、でなければ本物はわからない、という信念でずっとやってきたし
それは間違っていないと今でも思っている。
Stay Homeは、この移動距離とともに、現場のリアルを喪失させた。
まさに、オンラインが先にある時代になったわけだ。
正直に言おう。
「快適」
である。
移動距離の喪失は、大量の時間を生み出した。
これまでできなかった情報収集の時間、それは読書の時間であり、研究の時間であり、考察の時間であり、
さらには散歩をする、料理をするという時間まで生まれた。
正直、こんなに時間があったのか、と実感する自分がいる。
そして、オンラインが普通になったことは、毎月2回しかなかったミーティングを、毎週などのより細かいルーチンでの実施を可能にした。
これは意思疎通の品質向上に直結する。当然、手戻りなどの無駄がなくなり生産性も上がる。
では、もう一つの現場のリアルの喪失の方はどうか。
ありがたいことに、2年わたり広島県も福島県も毎月2回行っていた。
それなりにリアルの蓄積もある。
すぐに困るということはない。
それどころか、移動距離の喪失で生まれた、大量の時間は、もっと多くの地域にリアルに訪問する時間を生み出してくれている、とも言えなくはない。
さらに、半径500mくらいのリアルは高まっている。
もし、アフターコロナが実現すれば、
オンラインでできるものはオンラインにし、
リアルで多様な体験にもっと時間を使う、
そういう世界が待っているのではないか。
改めて考えると、
「習慣性のある移動がなくなる」
ということなのだな、と思う。
そういうものこそ
「オンラインで良い」
のだ。
スーツ姿の人々が新幹線で定期的に移動する
自宅からオフィスへ毎日通う
子供達が毎日学校に通う
となると、
駅周辺の経済も変わり
オフィスの周辺の経済も変わり
学校の周辺の経済も変わる
ということかもしれない。
そしてそれは、
勤務時間や労働時間という概念も大きく変わらざるをえない
ということを意味している。