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2017年8月22日更新 

【対談】地域と「よそ者」がつながるには(前編)

東京などの都市部と比べて、住民の流動が少ない地方。都市部から訪れた「よそ者」が、観光客としてではなく、地元の人たちに受け入れられるまでには、さまざまなハードルがあることが少なくありません。

今回は「NPO法人野外遊び喜び研究所(通称「あばれんぼキャンプ)」代表の中嶋さんをお招きしました。都会の子どもたちに田舎でのキャンプ活動などを提供をするNPOですが、その実現には、地元の大人の人々との信頼関係は必須。その結果が、地元の人たちとの子供の濃密な交流という「あばれんぼキャンプ」の特徴にもつながっています。
今回は、活動エリアの福島県郡山市湖南地区、山梨県大月市のケースなどを参考に、ゼロからその地域とのつながりの作り方、実際の交流の今、震災地域福島を含めた過疎地の課題などを、幅広くお話いただきました。

中嶋:中嶋 信さん(NPO法人野外遊び喜び研究所 理事長)
澤 :澤 尚幸(一般社団法人Community Future Design 代表理事)

湖南での「あばれんぼキャンプ」

:まず、「あばれんぼキャンプ」を簡単にご紹介いただけますか?

中嶋:私は、都会の子どもたちを田舎につれていくという仕事をしています。もともとは、自分の地元である東京都府中市で子ども会をやっていたのですけど、それがだんだん発展していって、子ども会をそのまま任意団体にしたわけです。キャンプが大好きな若者が子どもたち集めて、キャンプに連れて行こうというところから始まりました。それをそのままNPOにして1998年くらいから20年くらいやってます。

:いまは、福島県の湖南町で古民家を借りてキャンプをなさっていますが、これはどういう経緯ではじまったのでしょうか?

中嶋:東京の府中に府中動物病院という病院があって、そこで、紹介を受けたのがはじまります。その方の別荘が30年前に作ったのだけど、27年くらいほうってあって使ってないから、使いなさいと言われて貸してもらったわけです。古民家ですね。そこでキャンプをやっていました。そこが意外といい場所でね。
でも、地元の人も勝手に使っていて、朝起きると知らない地元のオジサンとかいるわけです。ぜんぜん使っていないのに電気代かかってたりして…。まあ、地元の人の集会所?コミュニティスペースみたいなものかな?その代わり炭は常時置いておいてくれる。カギもないし…。

:地方創生に取り組もうとするとき、「よそ者」にとっては、地域とのコミュニケーション、あるいは信頼感を作ることがとても難しいと思っていますが、中嶋さんの人脈作りのノウハウはすごいなと常々思っています。地方ではいわゆる保守的な人も多いですが、どうやってその中に入っていったのでしょうか。

中嶋:最初に福島に訪れた時には、村に入っていく方法がわかりませんでした。つてがないので、最初は「ガソリンスタンド作戦」。ガソリンスタンドって、実は、地域の集会場になっています。コンビニエンスストアだとどうしても商売の香りがするけど、ガソリンスタンドにはそれがない。
ガソリンスタンドに行って、「今度ここでキャンプやりますからよろしく」とか言うわけです。そうすると、そこにいるおばちゃんたちがね、いきなり「きゅうり」とかをくれるんです。そのおばちゃんに、
「誰か挨拶しておいた方がいい人いる?」
とか尋ねるわけです。そうすると
「区長さんがいるから、そこに酒持って行け」
みたいに言ってくれます。それで区長さんのところに行くと、
「俺に言えばなんとかなるから…」
と。そして、実際にいろいろ助けてくれる。
そうやって関係ができると
「次いつ来るの?」
と聞かれるようになって、それからそのまま続いています。今では、消防団とか青年団とも仲良くなって農業体験などができるようになりました。実際には、原発問題あって、東京からの子どもたち激減しました。いま少し戻ってきていますけど。

:中嶋さんが連れて行っている子どもたちも減っているんですか?

中嶋:東京からの子どもたちは最初は100人くらいでしたが、半減してますね。まだ尾を引いています。原発事故もあるんですが、吾妻山が噴火するとかいう噂もね。地元の人は全く心配していないのですけど、東京の人はちょっと気になる。

:少し前の、木曽の御嶽山の噴火なども影響しているのでしょうか?

中嶋:そう。今年は70〜80人くらいに戻ってきていますね、少しずつ。
それで、湖南でキャンプやってますが、いま一番おもしろいですね。地元のおじいさんたちが子どもたちを見にくる。見にくるというか、子どものエキス吸いに(笑)。
食べ物を置いていってくれたりして、もう誰かわかるんですよ。どのおじいちゃんが持ってきてくれるか? いま、トマトとキュウリがちょっと少ないなぁ…、と思うと触れ回ったりして(笑)。そうすると、持ってきてくれる。トマトは捨てないからあんまり持ってきてくれないんですけど、キュウリはすぐ大きくなっちゃって規格外で出荷できなくなるから、たくさん持ってきてくれます。取れたてなのですごく美味しいんですよね。

:会津地域だとアスパラもありますけど、生で食べれるでしょ。

中嶋:そう。とうもろこしも採れたては生でいけますよ。
子どもは、きゅうりが苦手な子が多いんですよね。きゅうりはすごく伸びちゃうから朝晩とらないといけないらしくて、朝晩くれるんですよ。それがスーパーの買い物籠にいっぱい。子どもたちがわーいって。まず、きゅうりをたべる。お味噌とマヨネーズおいておくと、自分たちでミソマヨ作って一本ずつばんばん食べている。その時に、苦手だったきゅうりがたべれるようになる子どもが出てでてきます。東京に戻って、うちの子きゅうり食べられるようになりましたってお母さんから言われる。でも、
「東京のきゅうりはまずい」
って言いながら(笑)。採れ立てはすごくおいしい。暖かくて、ジュース飲んでるみたいな感じするんですよね。きゅうりを食べると熱中症にならないという地元のおじさんたちの言葉を信じてね。子どもたちはバンバン食べてる。

:そう、ウリ科だからね。身体を冷やすんですよね。夏野菜は、そもそも冷えるようにできている。その時期の野菜はその時期の人間の健康に合致したものなんだと聞いたことがあります。

中嶋:いまは、東京などに帰る日の朝に野菜を刈り取って、お土産として持って帰るというのがパターンになってます。出荷後の、残ったものなんだけど、子どもたちは大きいのどっさり刈り取って持って帰る。

:いい体験だなぁ〜、うらやましい。ところで、地元の子ども参加しているのですか?

中嶋:県内の子どもたちが来てくれるといいんですけど、なかなか来ないですね。一回のキャンプで数人程度かな?
実は、2011年に「湖南自然学校」ってのを立ち上げてやろうと思っていたんです。それを5月から開く予定にしていたのですけど、3月11日に東日本大震災。郡山は大変なことになっていました。あんなに脆弱だったのか?と思うくらいに郡山には食べ物がなくなって…。
ところが、会津地方の湖南はお百姓さんばっかりで、食べ物はいっぱいあるし心配することはなかった。郡山はコンビニからモノはまったくと言っていいほどなくなるし、駅前のホテルとか原発関連の人たちで一棟貸しみたいな状態。大混乱の町になっていました。
とにかく、そんなわけで、地元の郡山の子どもたちとキャンプやろうと思っていた湖南自然学校はもうダメだな、と。

3・11震災の後

:震災後はどんな感じだったのですか?

中嶋:震災後も、続けて細々とキャンプをやっていたんです。それが「こいつら諦めずに来ている」って地元の評価に繋がっていますね。東京からは子供がたった3人とかしかこない時もあったんですよ。2011年はね。だから、ちょっとだけやりました。この子どもたち、郡山の子たち60人くらい集めて一緒にキャンプやっていたので、キャンプの人数は多いのですけど、東京からは、残念ながら、ほぼ壊滅的な人数しか来ない。

:中嶋さんとしては郡山の人を集めたいという気持ちは大きいんですか?

中嶋:うーん…。震災があって、郡山が市場化されたというか、子どもたちにお金をかけるという流れができつつあるような気はします。学習塾が増えたとか、体操教室が増えたとか…。もともと福島の人は自分たちで子どもたちを遊ばせていたんだと思うのですけど、少しずつ僕たちのような外部のサービスを買うようになってきました。
実は、市場化された理由は、震災の支援活動の結果ではないかと言われているんです。以前は、キャンプとか体操教室とか、そういうのは福島では成り立たないんじゃないか?と言われていたんですけどね。そういう市場化はボクも実感しています。それまではサービスだと認識していなかったものが、支援の中で実際に体験し、「これは良い」ということに気づいてもらったんだと思います。

:いま、中嶋さんところに来ている福島のこどもたちとそれ以外との割合ってどれくらいですか?

中嶋:キャンプにもよるんですけど、雪のキャンプだと、福島の子たちしか呼びません。会津若松駅集合といった感じにしますね。福島の人たちが、冬のキャンプは東京の人たちは呼ばない方がいい、危ないからと言いますね。雪国になれていないとね。雪国の常識もあって、知らないと危険。たとえば、水道の栓を締めてしまって、破裂させてしまったりとか、実際にそういうことがありました。

:すると、東京からは夏が中心なのですか?

中嶋:そうですね。冬、磐梯青少年交流の家を借りて一度やりましたが、それきりです。

:ということは意外と地元志向でやっていたんですね。
ところで、いまの湖南の状況はどうなっていますか?

中嶋:湖南の我々がこどもたちとキャンプをしている集落は、もう集落としては成立していないですね。2人しか住んでいないんです。ひとりで住んでいるおばあちゃんが隣にいましたが、2回ほど助けました。救急車呼んだんです。熱中症かな? 我々の車に乗せて救急隊が来るところまで運んでね。町も近隣の人たちも、もう住む場所とは思っていない。神社と畑だけがある街というか、地域というか、そういう感じになっています。

:でも、そこに子どもを連れて行っていると。おじいちゃんたち、やってくるんですよね。その誰もいないところに。住んでもいないのに。

中嶋:元集落の人とか、その親戚とか、まあ、物珍しがってくるというか。こどもが来ることは嬉しいんだと思います。
この地域では、集落の再生は目的に入っていなかったんです。でも、子どもたちの田舎体験の場としては適切だなと。田んぼがあって湖が近くて、農家があって、二階が蚕の部屋で囲炉裏がある。昔ながらのボットン便所で、土壁で…、そういう感じです。子どもたちはすべて自分のことは自分でやらないとなにもできない場所ですからね。

:近くまで人は来ているけど、ここはすでに人はほぼいない。

中嶋:震災の影響で、郡山市も子どもの人口が激減していると言われています。震災後の人口の流出が止まらない。

:(データ見ながら)あー、かなりの数減っていますね。町はある一定の数を超えて減少するともう再生は無理になる。だから、なんとかまだ人口がある段階で、踏みとどまって対策を取らないと、町がなくなっちゃうということですね。

中嶋:でも、もう町をなくすのが経済的にも正しいというような流れもあるんです。湖南町に下水道の交渉をすると
「通すわけないじゃないですか」
というような返事が来る。
「猪苗代湖もキレイになるのに」
というと、
「高機能浄化槽入れてください」
と言われる。それを導入するには補助金入れてもまだ足りないくらいの金額になる。

:でも、下水道整備はその比じゃないですけどね。

中嶋:そう。だから、下水道の予定は当然にない。なんというか、もうここには住んで欲しくないというような姿勢を感じるときがありますね。光ファイバーも来ない。

:うーん、仕方がないですね。そうなる前になんとかしないとってことですね。経済活動がまだ残っているウチになにか講ずればなんとかなるけど、それが完全に壊れてしまうと、壊れちゃった後だともう生活ができないし、なんともしようがなくなってしまうということのようですね。

<後編へ続く>

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