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2017年8月23日更新 

【対談】地域と「よそ者」がつながるには(後編)

中嶋:中嶋 信さん(NPO法人野外遊び喜び研究所 理事長)
澤 :澤 尚幸(一般社団法人Community Future Design 代表理事)

地元に入り込むにはガソリンスタンドから

:さて、地方創生に関わる人が苦労しているのは、地元への入り方と人を連れてくることだと思っているのですが、その点についてお伺いしたいと思います。

中嶋:地元への入り方ですけど、さっき話しましたガソリンスタンドとお店。ガソリンスタンドはいいですよ。だいたい、お年寄りのたまり場になっていてね。コンビニ違って、ガソリンスタンドは話している人多い。(笑)。

:子どもが来たら、おじいちゃん、おばあちゃんが集まってくるっていう良い効果がありますよね。

中嶋:3.11より前は、子どもに関わる大人が来ていたという感じでした。興味のある外国人や大学生が来ていたんですよ、子どもを連れて。ボランティアだったのだと思いますが、私が、そういう団体を呼んだりしていました。でも、食べ物の外国人が宗教的な問題でモメたり、いろいろ大変でした。だけど、そこに、変な言い方をすると、地元のおせっかいな人がいっぱい入ってきて、ほうっておいてくれない。実際、こっちは連れていった団体でひっそりとやろうと思っていたのにって(笑)。

:そういう意味では「おもしろい大人」が「地域のおせっかいな人」を連れてきたと。

中嶋:そうですね。そして、今から思うと、いろんな人にとにかく挨拶をしました。そのうち、コアな人たちと深まっていき、そのコアな人たちにお願いすると、ちゃんと、どこかから、ヘルプが入ったりする。
子どもたちに農作業をやらせてみたい、とお願いしても、いくつものしがらみがあります。農地の権利問題とか、大根の収穫体験が一本800円だったり、急に100円になったり、交渉する度に値段が変わったりして、難しい問題がいくつもありました。でも、そういうことを、しっかりと調整してくれる人が現れるんですね。

:なんか関わりたいわけだ。

中嶋:面倒くさいことには関わりたくないけど、「孫が遊んでいるよ…」というような雰囲気には、関わりたいみたいですね。やっぱり、人間なんですよ。子供はかわいい。

よく言えばおおらかだが、悪く言えば不透明な部分も

:逆に、こういうことは絶対にやってくれないとか、なかなかやってくれないとかいうことはありますか

中嶋:基本的にはいろいろやってくれないですね(笑)

:やってくれない(笑)

中嶋:不透明なんですよね。たとえば、見積もりが出てこない。集落の中で、たとえば、大工さんに頼むと、高いんだか安いんだかわかんない。よくわからない作業スピードと材料使って、結果的に直っていない、なんてこともある。で、
「なんでできていないの?」
って聞くと、忙しかったとか。でもお金は請求されたりします。

:それって契約になっていないじゃないですか。

中嶋:契約はするんですが、なんていうか、それが村のなかで「なあなあ」になっていて、外部だからカチッとしようとすると成立しないところがありますね。「ごめん見積もりより高くなっちゃった!」とか言われる。それは困るから、結構強く言うんですけど、忘れてたり。雑というか、もわっとしています。

:先ほどの農業体験の大根もの値段もおおざっぱですよね。800円と言っているのに100円になったりとか。

中嶋:良く言えばおおらかなんですけど、悪く言うとしたたかすぎる。足下見ているというか、都会人はお金を持っていると思っているのかもしれませんが、いいバスで行くとカネがあると思われて高かったり、悪いバスで行くと値段下がったり。

:寿司屋みたい。

中嶋:そうそう。東京から大手の旅行会社でのツアーとかだと、それ込みで払っちゃったりするから、全部値段が違う。

:道の駅みたいなのができると、ある程度価格が均一化されますから、わたしたちとしてはその方がいいんでしょうが。

中嶋:そう、値段が、はっきりしないんですよね。

:市場経済になっていない。物々交換に近い。「気分いいから半額」とか(笑)。

中嶋:そうそう、そんな感じです。売りに来た人が、売ってくれるんだけど、「余ったから、みんな持って行きなさい」みたいなこともあります。それから、ビール1ケース渡して、たまねぎ1万円分どうぞ、みたいなこともありますし。

意外と豊かな限界集落

:なんとなく裕福な感じがするんですよね。お金に困っている感じがしない。少なくとも食べ物はかなり豊富にある感じするんですけど…。

中嶋:「金はない」と言うんですけどね。食べ物は困っていないですよ。お金かかっていないし。まず、裏山の山菜を採りまくりですし(笑)。ミョウガとか芝生みたいに生えてるし、しその葉とかもね。天然ハーブ、すごいことなってます。畑には根菜類もいっぱいあるし。

:でも、人は減っているわけですよね。若い人もいない。そうすると裏山も手入れする人がいないわけで、放置されている。そういうのなんとかならないですかね?

中嶋:放置されています。でも、誰の土地かわかっていないところとかもあるんですよ。裏山とか、もうよくわからない。

:食べ物いっぱいあるんですよね。もったいないなぁ…。でも一方では山菜を無断で採るなとか、書かれているわけですよね。大勢に来られると困ると。

中嶋:でも、いっぱい人が来た方がいいんですよ。というのも、東京の人はぜんぜんわからないですよね。植物に毒があるとかないとか…。ほとんどわからない。セリとかね。僕もあまりわかっていない。セリにも食べれるセリと、毒セリがあるらしい。
そういうことを地元のソムリエみたいなおばあちゃんがきて教えてくれればね。簡単にザル2,3杯分は採れる。全部採るとなくなっちゃうとか言いますけど、おそらくなくならないですね。うちの裏のワラビなんて、伸び切っちゃって、どんどん生えてくる。

:もったいないですね。子どもたちが来て、おじいちゃんおばあちゃんが張り切るんだったらもっと連れて行ければいいのでしょうが。

若者への期待と、若者の意識とのギャップ

中嶋:いま、それを試行的に山梨県の大月でやってみています。子どもたちを呼んで、キャンプを。アルクという英語学習の企業がありますが、そこが主催しているキャンプをこちらで受託しています。全国から子どもを集める里山キャンプです。英語もしゃべれるスタッフも入れて、帰国子女の人入れて40人くらい。英語でのキャンプですね。
子の準備の中で、大月のおじいちゃんたちに、得意分野は?って聞いたら、「こんにゃく」って(笑)。ところが、その気でいたら、こんにゃく玉を全部使っちゃって、こんにゃくない!って言われてしまって。こんにゃくの粉ならあるけど、と言われたり。
謝礼は少額なんですけど、それでも張り切ってやってくれます。ありがたいです。面倒見もいいです。とにかく、よく知っているし、驚くべきなのは、機械もほとんど自分達で修理してしまいますね。トラクターも自転車も。そもそも修理屋なんてありませんから。だから、遊びも上手な農家さんは多いですね。そういう意味では、豊かですね。

:遊びも上手というのは、普段から「考えている」ことの証ですね。自分たちでなんとかしないと生きていけないから、その都度考えて。それが遊びに繋がっているというか…。生きる知恵があるんでしょう。

中嶋:一方で、「限界集落」と言われている集落は似ているところがあります。外部との関わりはもたなくても集落は成立してしまっている。逆に市場経済になりきっていない。なんでも自分たちでやるし、なんでも持っている。チェーンソーから、農機具一式なんでも。すぐ貸してくれます。

:いやそれは、今はまだそれでなんとかなっているってことですよね。でも、徐々にこのまま人口減少に合わせて小さくなっていくんでしょうね。

中嶋:そうですね。

:とりあえず、今はなんとかなっている。

中嶋:でも若手が五十数歳ってのはね。問題かなと思いますけど。
共通しているのは、自分の集落に誇りも持っているし、その集落をなんとかしたいとはみんな思っているんです。でも、なんかしようと思った時に、町を壊されるのは嫌なんですね。キャンプで100人くらい呼んできて、がんがん砂浜や里山で遊ばれるのはやっぱり嫌だと。「わたしたちの大切な町を壊さないでくれ」と怒られることもあります。使って欲しいけど汚して欲しくない。これは当然ですけどね。実際、子どもたちは汚していません。汚しているのはいきなりやってくるキャンパーたちなのですが、こういうところは、どちらも都会の人々。こういう仕事をしていると、ちょっと複雑です。

:僕もなんとなくわかるんですけど、若い人には戻って来て欲しいし、子どもたちにも遊んでもらいたいと言うんだけど、最初に出てくる言葉は、「民話をちゃんと伝承してもらわないと困る」とか、「祭りはちゃんと若い連中でやらないとダメだ」とか…。それだと誰も来ない。そもそも、そういうことのメリットがないと思っているから、自分の子供たちも都会に出てしまったんじゃないの?と思うわけです。

中嶋:若者がなにかをしないとだめだというのは…、ちょっと無理だと思います。お祭りの時に、片付けは若い人がやらないとだめだとか、若者が御神輿を担げとか、神楽もってこいとか、踊らないとだめだとか…。
若い人たちはそれに対してなんの魅力も感じていない。それに、「若いからやれ」という思考回路は、すでに現代の繋がりとしては、感じられない。その閉鎖的というか、封建的な集落の仕組みが、都会から来る若い人たちには全くわからないですよね。

:誰かが言っていたけど「おじちゃんが発案して、おじいちゃんが決める文化」って。

中嶋:まさにそれです。地域のおじちゃんたちが気を遣って一生懸命おじいちゃんたちを盛り上げようとする。
そこのところで、「そんなんじゃ誰もやらないですよ」ということを、なんとか伝えようとしています。「僕たちは都会から力作業のために来ているんじゃないですよ。そこに価値があれば、若者たちや子どもたちは来るけど、なにもなければ誰も来ないですよ」ということです。
それは、わかっていないわけではないんです。言えば、案外柔軟に対応したりもしてくれます。

:ちょうど端境期なのでしょうか? あちらも、無理を承知で言ってみるけど、動かないことはわかっている。でも、なんとなくこれまでそれでやってきちゃっているし、だからなんとかしてほしいって。

大月での懇親会

中嶋:それでも、だんだん受け入れてもらえることができるようになってきています。先日も二家族遊びに来たら、おじいちゃんたちが、子どもが来たって大喜びしちゃって、家に呼んでご飯食べさせてくれたり…。こんなに受け入れてくれるんだったら農家民泊みたいなことも実現できるのではないかと考えています。

:頻度にもよるでしょうけどね。毎日だったら無理でしょう。月に一回くらいなら、まあなんとか…、とかね。それにしても、先日大月でいただいた、家庭のおばんざいは本当に美味しかったですね。

中嶋:あそこのおばあちゃんの料理は美味しいです。次は農泊やってみようか?とか思っていますね。少しずつですね。

:たとえば、古民家を少し直して、そこは泊まるだけ、そして食事はそういうおじいさんたちの家にいって食べる、そういうのもいいかもしれません。
僕も経験がありますが、行く側の人も、他人の家に泊まるのは気を遣います。おみやげを持って行かないとだめかなとか考えてしまう。だから、泊まるところと食べるところを分けてみるといいのでは。

中嶋:結構、空き家が多いですから、泊まる専門の家、騒ぐ家などと分けたりできますね。
大月は可能性があります。地元の顔役みたいな方が6人くらいいるんですけど、その方々とよく集まって懇親会をしています。
みんなで飲みっぱなしです(笑)。先日は、集落側と大学生みたいな集まりもやりました。集落の人たちは話し上手でね。学生たち巻き込んでくれて、大騒ぎです。古民家再生に興味のある学生、中には、高校生がボランティアで参加してくれて、お酒は飲めないんですけど、とてもいい繋がりになりました。
「またやろう!」
って言われて。こんな関係性が、集落の人々と、都会の学生でできるんだって、驚きでした。
おじさんたちすごい楽しんじゃって。いまは、それぞれの自宅にまで飲みに呼んでもらっています。奥さんは怒ってましたけどね(笑)。

<前編はこちら>

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