2017年1月12日更新 投稿者 代表理事:澤 尚幸
会津若松から南会津経由で東京に戻ってみた
月に1、2度、福島県会津若松市を訪れる。
磐越西線か、車で郡山まで行き、そこから東北新幹線で東京へ戻るのが一般的と言えるだろう。
今回、初めて、会津鉄道で南会津に向かい、そこから山を越えて、東武鉄道で浅草に戻るというルートを試してみることにした。
雪が降る日。
夕暮れが近い中、たった一両で走る会津鉄道は、南会津に戻る高校生がたくさん乗っている。しかし、ボックスシートに一人で座ってモバイル端末をいじる、寝る、など、会話するわけでもなく、一人で過ごしている学生が多いことの気づく。子供が減り、等しく会津若松に通う同級生すらいなくなりつつある、ということが感じられる。ここでも、「過疎化」ということの別の課題が映しだされていることに気づく。
一人、また一人。
列車が停車する度に学生が降りていく。
終点、会津田島。
雪も本降り。
ローカル色満点の中、ここで野岩鉄道経由の鬼怒川温泉行きに乗り換える。
野岩鉄道は、昭和61年の開業。
「東武と会津線がつながった」という記憶が鮮明に残っている。
新しいゆえに、橋とトンネルの連続の高規格の線路。
いいペースで走るが、車窓もなく、当然に乗客はほとんどいない。
その少ない乗客も、ほぼ通過客である。
並走する国道121号線。何度か通過したことがあるのだが、森しかない、およそ民家のない場所に、
「男鹿高原駅」
なる小さな看板が掲げられている。
舗装路かも怪しい道の先に、駅があるようなのだが、果たして誰が使うのだろうかといつも気になっていた。
無事停車。
真っ暗。灯りに照らされる駅の看板だけが明るい。シンシンと雪が降っている。
いわゆる秘境駅の一つ。昔は林業が盛んで乗降客もそれなりだったらしい。
駅だけがぽつんと時代の変化から取り残されてしまった、そんなイメージが空想できる。
鬼怒川温泉駅到着。
19:25発の東武特急きぬ140号浅草行きに飛び乗る。
時間も時間だからだろうけれど、乗客は各車両数人。
関東平野の日光街道に沿って東武特急は走り抜ける。
春日部を過ぎ、日本最長の複々線に入ると、
「あ、東京に戻ってきた」
というなんともいえない感慨を味わえる。
21:35に浅草駅到着。
4時間半の旅が終わった。
実のところ、磐越西線と東北新幹線経由でも、3時間ちょっとかかる。
1時間半の差は大きいと見るか、それほどでもないと見るか。
ひたすら静かな旅。
手持ちの本をじっくり2冊読むことができた。
当たり前だが、旅は、目的地までの過程も含まれる。
北海道へ飛行機でいく、列車でいく、フェリーで行く。
明らかに、フェリーで20時間かけて訪れるなら、北海道は、遠い土地、だからこその感慨を得ることができる。
南房総も、アクアラインであっという間という方法もあれば、最高に美しい夕陽が見られる内房線に乗り、小さな駅で下車をする、とすれば、それはまた違う旅情を与えてくれる。
地方活性化では「観光」が語られることが多い。
しかし、その地域のコンテンツは語られても、そこに至るルートまで語られることは少ない。
地域連携の中には、ルートの選定、そのための連携、もとても大切な要素として含まれているはずだ。
ちょっとした、違う味付けも考えてみたらどうだろう。