2017年4月11日更新 投稿者 代表理事:澤 尚幸
本当にUターンはできるのか。。。
3月に久しぶりにふるさとに戻って考えたこと。
「ふるさとにUターン、というのは、自分にとって現実解か?」
地域活性化に、Uターンは欠かせない、と私は思っている。
地域の文化
地域のしがらみ
を知っていて、かつ、
地域を地域の外から見た経験は、地域の強みと弱みを見つけるための
「比較対象を持つ」
という特性を持ち、
さらには、地域外だからこそ学ぶことができたであろう、ノウハウを
有している
という特徴があるからだ。
空気、環境が良い。
満員電車もない。
やはり都会にはない気持ち良さがある。
昔と異なり、Webがあるので、情報も遜色がないし、ECサイトを使えば、
ほとんどのものを都会と同じように購入することができる。
それどころか、新鮮な野菜など、地方だからこそ得られるものがある。
ここまで考えれば、Uターンはできそうだ。
でも、やはり、私は踏み切れない。
何が地方に足りないのか、、、
「人との直接的なコミュニケーション」
ということじゃないか。
アポイントを入れさえすれば、地方から都会に出かけて行き、ほとんどの人に会うことができる。
TVや電話会議のシステムを使えば、実はいつでも、どこでもほぼコミュニケーションは実現できる。
それでも、やはり都会にいるからこそ
「ちょっと会いたい」
と思えば、複数のチームメンバーと会うことができるというメリットは捨て難く、
また、これを、地方で実現することは難しい。
「そこまでスピードを求めるべきなのか?」
「そこまでのリアリティーが必要なのか?」
悩むところだが、今の段階では、まだ、私はこの優位性は捨てられない。
刺激的な人の、特別なオーラー、みたいなものは、やはり対面じゃないと感じられない。
効率性を求め続けるというセグメントが、この世に続き、それが、富と直結する限り、この流れが逆回転するということはあるまい。グローバリズムの修正はあったとしても、皆無になるとは思えない。
だからこそ、ギリギリ選んで、今なら、Uターンではなく、
「二地域居住」
といったところではないか。
これなら、自分の時間を、最適なところにシェアできる。
もちろん、製造業であれば、
「その最適な原材料が得られる地域に定住する」
というような形が最適解であろうから、あくまで、
「僕がUターンを考えると、一歩踏み出せない」
と言っているのであって、これが全ての人々に対しての最適解である、というつもりは毛頭ない。
価値観は多様だ。
そういえば、昨年の9月に「地域活性化の持続性」というお題で、こんなことを書いていた。そもそも、移住の意味合いは「そこに行かないと実現できない」という条件が必要なのだ。
http://www.cofude.com/column/346/
問題は、
コミュニケーション、ということが前提に成っている仕事を前提にすれば、
「グローバリズムを選ぶのか、ローカリズムを選ぶのか、の境界線は、
どうもこんなところにありそうだ」
ということと、
Uターンを促進するということは、
「それぞれの人にとっての最適解を提案する」
という途方もなく大変な仕事である、という認識が必要である、ということだ。