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2025年6月1日更新 投稿者

Napoliに来て感じたこと

パリ、ニース、ミラノを経由して、ナポリにやってきた。
ちょうど、セリエAで、ナポリが優勝した直後ということもあり、夕方から発煙筒が焚かれ、地下鉄の駅はサポーターで溢れ、もうお祭り騒ぎになっていた。

  • 食事が安くて、とにかくうまい
  • 気取った感じがない(まあ、田舎ということでもある)
  • いろいろ融通が効く(でも、逆を言えば、コネが効くし、ちょっと治安は悪そう)

ナポリをさっと語るとこういうことになるのだが、これがナポリということなのかもしれない。

ナポリに来た理由は2つある。

  1. アグリツーリズモ、テリトーリオ、アルベルゴ・デュフーゾなど、第一次産業の新しい成功事例を通して、日本の過疎地の解決策が南イタリアで得られるのはないか?
  2. (その後訪れる予定のヴェネツィアも含めて)オーバーツーリズムの実情と対策を通じて、あるべき観光のあり方について何らかの知見が得られるのではないか?

だ。

2つ目は、この後の、ヴェネツィアを終えてから書き記すことにして、今回は、いわゆる新しい農業地域のあり方みたいなことについて、気づいたことを書いておきたい。これはすなわち、日本の過疎地のあり方、みたいなことについての、一つの答えになるかもしれないということである。

今回、訪れたのは2つの場所だ。
ナポリから南に2時間ほど車で走ったところにあるチレントと呼ばれる地域、その入り口が今回の訪問地である。
一つ目は、チチェーラーレ(Cicerale)のジョバンナさんのヒアリング。
地域に根ざした農作物である「ひよこ豆」を再生し、地域の食事が非常に健康にプラスに働くという視点で活動をし、「地中海式ダイエット」として展開を推進している方だ。

(ジョバンナさんと)

二つ目は、パエスティム(Paestum)のエットレさんのヒアリング。
大きな庄屋の建物を改装して農泊事業を展開しつつ、コルディレッティ(Coldirettti)(農業協同組合)の地域の代表として安全な農産物の提供や、農泊事業のほかの農家への展開などの支援をしている方である。

(エットレさんと)

結論から言うと、

日本もイタリアも課題は一緒で、実際に動いて成功していると思われるケースも同じ。そして、そうした活動をしている人々は孤独の中で信念を持って動き、行政はほとんど役に立っていない。

ということだ。
お二人とも、非常に情熱的で、信念を持って語ってくださった。予定した時間を大幅に超過して、遠く日本から来た我々に「これを伝えたい」と、いつまでも話が終わらない時間を過ごした。

もしかしたら、イタリアに来ることで、何か日本にはない面白い解決法が見つかるのかもしれない、と言う期待があっただけに、少し残念な気がしないわけではない。だけど、地域のために頑張るキーパーソンの雰囲気は、イタリアでも日本でも同じだったし、「結局、正攻法はこれなんだろうなぁ、、、」と言うことに気付けたのは大きかった。

一方で、日本とイタリアのキーパーソン同士が話をしたら、何か生まれるのではないか、そんなプラットフォームが創れないかという妄想も広がる

ヒアリングを通じてわかった細かいディテールについては、ボリュームも多いし、ぜひ、ディスカッションをしてみたい内容でもあるので、別の場を作ってみたい。

(エットレさんの農泊の夕食でいただいた、出来立てのモッツアレラはこれまでになく美味しかった。)

一方で、テリトーリオやアルベルゴ・ディフーゾなどからイメージしていたのは、「地域の文化や、それを守っていく共同体」みたいなものの存在や、そのガバナンスのための仕組みの存在であった。
が、実のところ、イタリアには地域の自治会のような存在はないとのこと。エットレ氏がトップを務める組合のような、事業を通じた組織や、教会などを通じた支援組織のようなものは存在するようなのだが、地域の農家自体は当然顔見知りでも、何か一緒にやっていこうと言った組織のようなものは存在しないと言うのが、みなさんの結論だった。

では、なぜ、テリトーリオ”戦略”という言葉や概念が生まれてくるのか。。。
ナポリ滞在中も、ヴェネツィアへのitaloの中でも、そのことばかりを考えていた。

とりあえずの今のところの自分の答えは次のようなものである

  • イタリアの人々は、自分がやりたいことをやろうとする(仕事するしないも含めて)
  • 自分が生まれ育った街が素晴らしいと思っている
  • その街の文化や風土を大切にするので、結果として、やっていることが同じ方向を向いているように見えるけど、別にみんなが共同体で群れてやっているわけではない
  • そして、公平性はイタリアで行政はシビア。少し尖った投資を支援しているEUの存在が大きい

ふと思ったのは、イタリアにはコンビニはほぼ見かけないし、チェーン店も正直少ないし、ある地域に局地的に存在しているように見えた(ミラノでは、チェーンのピザ屋などのようなものを見かけた)。

そもそも、自分が地方創生みたいなことをやり始めたのは、地域の個性がなくなり、どの地域にも同じコンビニと、同じスーパーと、同じロードサイド店が並ぶという景色が気持ち悪かったからだけれど、

「このどこでも同じような景色」

が、もしかすると、日本とイタリアの一番の差別化要因かもしれないと感じた。

利便性を高めるために「自分の生まれ育った街の文化や風土を消滅させる」という取り組みを、地方の行政が主導して実施してきてしまった、その結果が東京一極集中なのかもしれない。

そんなことを感じながら、ヴェネツィアに向かった。

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