2025年5月26日更新 投稿者 代表理事:澤 尚幸
Niceに来て感じたこと
ParisのGare de Lyon(リヨン駅)からTGVに乗る。
5時間40分かかって、やっとのことでNiceへ。
アヴィニヨンくらいまでは専用線を走っているけど、途中からは在来線を使っている。
「あー、南仏だなぁ、、、」
と思ってからが長い。(距離は短いけど)
人生で初めてのニース。
駅の周りはあまり観光地の匂いがないけど、地中海に近づくにつけて、垢抜けたNiceの顔が見えてくる。
滞在日数も少ないので、早速街歩き。
日本でもそうだけど、新しい街に来ると、街を歩いてみることにする。
先入観がないからこそ、いろいろなことの気づく。
ホテルから、Niceが一望できる東側にある砦のあとをルートを変えて往復してみることにした。
- 一方通行が多い
- 自転車専用道が縦横無尽に。自動車道と立体交差になって便利になっているところも。
- 海岸部は、「熱海?」、「湘南海岸?」と思いたくなるような光景でもあるのだけど、水の青さが違うよなとか、カジノがあるんだな、みたいなところにまずは目が行く。道路を渡り海岸に出ると決定的に違うことに気づく。『歩道が広〜い』ということだ。広い歩道には海に向かってベンチが置かれていたりして、ゆったりと時間を過ごす人、そして、ジョギングを楽しむ人など、それぞれに楽しい時間を過ごしている。
- 海を望む道沿いには飲食店が並ぶが、とにかくファサードに統一感と個性が上手くバランスされていて、とにかく美しい。広い歩道にはやはり開放感がある。
- ちょっと海から離れると広場や、オープンカフェなどが続くエリア。こちらは歩行者専用の広い道になっていて、オープンカフェが広く張り出している。
- マセナ広場へ来ると、一瞬、北欧かな?と思うような、トラムが走る美しい街並みが現れる。観光客は元より、子どもたちが遊んでいる光景は微笑ましい。
とにかく、歩行者がゆったり過ごすことができる。歩くというよりは、そこに留まって思い思いに過ごすことができるということの素晴らしさが実感できる。
もう、30年以上、初めてヨーロッパを訪れた時の最初の訪問地は、ドイツのMünchenだったのだが、そこでも、車が街から閉め出されて、歩行者が歩くだけでなく、ゆったりと過ごすことができるという街の構造が素晴らしいなと思ったのだけど、日本ではどうにも実現しない。
ニース滞在中、この「素晴らしい空間がどのようにできてきたのか?」ということをいろいろな方を通じてお聞きすることができた。
要点をまとめるとこんな感じだ。
- 昔からこういう空間がだったわけではない。現在の市長になって大きく都市計画を変えた。マセナ広場周辺は、本来は川だった。それを暗渠にして作られたバスターミナルや駐車場が置かれている地帯だった。それを、バスターミナルは遠くへ移転し、駐車場はなくし、人々が集える場所を作ろうというのが市長の考えだった。この計画はまだ続いている。公的な空間はどんどん公園などに生まれ変わっている。
- 当然、不便になるということで、住民からは反対が出たが、議員が市長の意向を踏まえて賛成し、この流れを進めることが決定された。議員は弁護士などの経験を持った人が、若い頃から政治を目指してそれぞれの専門を深めていくというケースがフランスでは多い。
- それまでなかったトラムを整備し、交通の整備を同時に行うということで駐車場がなくなっても利便性は担保されるという提案がなされて、決定された。
- この大きな広場と公園は、子供達が遊び、高齢者が集う素晴らしい場所になった。昔は麻薬の密売などもされ、治安が必ずしも良い場所ではなかった。確かに駐車場は無くなって不便にはなったのだけど、治安が大幅に改善したということで、市民はこの計画の実現を歓迎しているのではないか。
- そして中心部の治安の改善は、周辺部にも拡大し、街全体の安全性が大幅に改善したという実感がある。
さて、日本で実現できず、Niceでは「実現できてしまう」という理由がこれほどまでにわかりやすいのか、というのが、現段階での驚きだ。
Niceには、日本からの経済界、行政からの多くの視察もこれまでに訪れているという。視察の結果、どういう活動が行われた形跡があるのか、ということにも非常に興味がある。一方で、Niceの変化が生まれた理由には、日本とは違う政治構造があることも理解できた。政治構造はフランス・日本、それぞれにメリット・デメリットがある話であろうし、一概に良否は判断するべきではないだろうが、どういう政治構造ならできるか、ということを知っておくことは非常に大切ではないかというのが、今回の気づきとなった。
もう一つ、残念で、かつ大きな気づきもあった。
3日間の滞在中に、日本人とも会うことがほとんどなかった。
やはり、円安とヨーロッパの物価高騰で日本人が観光だけでなく、学びにも来ることが難しくなっているという声が聞かれた。
来なければ気づきも得られない。
気づかなければ、実行されることはない。
その連鎖の起点が実現できないということは、もしかすると今後の日本のためには大きな課題になるのかもしれない。