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2023年7月17日更新 投稿者

何を変えるのかではなくて、何を守るのか

7月に、6日間ほど北海道東川町に滞在した。

菊地伸町長、そして多くの東川町の役場の職員の皆さん、そして地域の人々と会話を楽しんだ。
多くのキーワードをいただいたが、最初2日ほどの感想は、

  • 「写真の町」から生まれた景観を大事にするという文化
  • 「合併しないと決めたことを契機とした」とにかくやってみようという文化

という2つのことがこの20年で定着してきた、その歴史の先に今がある、ということだった。
失敗からも学び、役場も住民も少しでも一方でも1mmでも良くしていこう、というそういう文化が定着してきたのだろう。
島根県石見銀山にある他郷阿部家で、毎日のようにしつらえに手を入れ続けておられる松場登美さんの姿が浮かんできていた。

しかし、何かもっとシンプルな話ではないのか。。。

そんなモヤモヤを、6日目の朝まで私は引っ張っていた。

環境は常に変化する。だからそこに生き続ける人間も変わっていかなければならない。
まさに人生100年時代という言葉はそれを示していて、東川町はそれを体現している。

しかし、6日目の朝、ちょっとそれは違うのかもしれない。。。と思ったのだ。

東川町は、いろいろやってみる中で、「何を守らなければいけないのか」ということ”こそ”を真剣に考えているのではないかと。

多くの町では、「何を守るのか」は議論せず、「何を変えるのか」について改革派が守旧派と戦うという構図がよく見られる。
困ったことに、「なぜ変えてはないけないのか」と尋ねると、
おおよそまともな議論はなく「理屈じゃない」という、理屈じゃない「言葉」が返ってくるのがオチだ。

養老孟司が「ニホンという病」の中で、『本は事実より先に同意を求める。だから「話せば分かる」』という、ということを述べているのだけど、私は「話せば分かる」と同じくらい「理屈じゃない」という言葉を、この守旧派から山ほど聞かされてきた。

そう、東川町で体現できる大事なことは

  • 何を変えるのか、ということはある意味やってみないとわからないのだから、財源見つけてどんどんやってみよう、話はこれで終わっていて
  • その中で「何は守るのか」「なぜそれは守るのか」をひたすら議論している

ということにあるのではないか。

日本の地方創生がどうもうまくいかないのは、
ここのところが、情緒的なままで理屈でしっかり議論できていないことに原因がある
そのことに気付かされたのである。

東京への帰りの飛行機の中で、藻谷浩介・山田桂一郎「観光立国の正体」(新潮新書(2016))を読み返していた。

その中で、観光では、田舎ゾンビのボスキャラ、政治家に政治屋になりたい人ばかりが出て来る、という日本について語られている場面がある。

スイスでなぜ、そうした状況が生まれにくいのか、その理由を山田桂一郎は以下のように語っている。

結局、その国の地域の民度や知性、教養の話になってくると思います。政治家を選んでいるのは住民ですから。もちろん、スイスだって善良な人ばかりではないですが、議論があまり情緒的にならないのは確かです。好き嫌いとかではなくて実務能力で測っている。だから、「これはこの人にやらせたほうがいいよね」という判断が、感情論じゃなくて論理的になされるわけです。


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