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2021年1月18日更新 投稿者

梅棹忠夫「日本探検『福山誠之館』」を読んで

近くの本屋にいった。
梅棹忠夫の日本探検が平積みになっていた。


時々、この本屋は、こういう面白い平積みをやってくれる。
実は、登山・探検でも有名な梅棹忠夫だけど、本を読んだことがない。

毎日、ICTやらデジタルやら教育やら統計分析で頭が疲れているので、少し脳に別のものを入れた方が良いような気がして手にとった。

ページを開いて最初に出てきたのが
「福山誠之館」
の文字。
福山でお仕事をさせていただいているので、買わないわけにはいかないと思い、そのまま買って読み始めた。

1960年出版というから、まさにその当時の福山が描かれている。
まだ鉄の町になる前で、山陽新幹線もなく、当然、あの三階建の駅舎もなければ、福山城天守閣も再建されていない。そういう時代の気分、そこからの発展していくであろう気分を、この本はそのままタイムカプセルのように伝えてくれる。

戦災で昔の福山藩の面影が壊滅し、そこから、鉄の町、重工業の町へ変貌し、国宝だった天守を復興し、という時代の流れを経る。私が微妙に知っている高度成長期が、福山では凄まじい勢いでエネルギーを放出していたのだろう。
福山から東京へ。
親藩として人材を供給し続けることが江戸時代からの誠之館の役割だったという。天守の再建は、まさに、都会へから、地方への転換点の象徴だった、と梅棹は分析する。

さて、時代は、この時代の気分を通り越えて、更に進んだ。
第二次産業による地方の時代を梅棹が語ったのち、世の中は第三次産業へとシフトし、昭和の末期から平成はまたしても都市の時代に戻った。
令和になって、ついに「土地に縛られない『どこでも良い』」という人々と、「土地に縛られる『そこでなければならない』」という人々に、産業構造による層構造が生まれている。
遊牧民と定住民とでもいうのだろうか?
(これを縄文と弥生という人もいる。)

世の中には周期があるらしい。
とすれば、次は地方の時代だろう。
その時、何が象徴になるのだろうか?
何の象徴に、遊牧民はやってくるのだろう?
(建物が象徴ということではないように思う。梅棹が、福山の話として菅茶山に触れている。私は、次の象徴は「人」とか「コミュニティ」なのではないか、と薄っすら感じている。)

1960年代の福山と「今」を比較できるのは、60歳以上の人々だろう。
最初の地方シフトの「気分」を知る人々のノスタルジーは、この梅棹の描いた気分なのだと思う。
それは、多かれ少なかれ、重工業で成長した地方の都市群に共通した話のように思われる。

となると、この次の「気分」は、かつてのノスタルジーとは異なるものであるはずだ。
それを作るのは、誰なのだろう?

そんなことを、この本を読んでいて、感じている。

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